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mushimegane128_128高麗人参って、昔から健康に良いといわれていますが、昔っていつから? いつごろ、高麗人参は健康にいい漢方薬といわれ始めたのか……そんな高麗人参の歴史まで熟知している方の方が少ないと思われます。そこで、このページでは「高麗人参の歴史」といつごろから健康にいい漢方薬になったのかを紹介します。

高麗人参の歴史

高麗人参は古代より中国、朝鮮半島、東北アジア、ロシアなどに自生していました。栽培に成功するまでは、高麗人参は一部の地域の山深いところに自生していたので、発見するのが非常に難しいとされており、現在以上に珍重されていました。

中国の書物から見る歴史

高麗人参が初めて書物に登場するのは、紀元前40年ごろの中国前漢時代に書かれた書物である「急就章(きゅうしゅうしょう)」に「蔘」の文字が記載されています。

さらに時代が下り、西暦200年ごろには「傷寒論」という書物の中に、人参配合の処方が21にわたって列挙されています。そしい、5世紀末に書かれたとされる中国最古の薬物書「神農本草経」の中では、人参は薬効が「五臓(心臓、肺、肝臓、腎臓、脾臓)を養い、精神を安んじ、魂魄を定め、動悸を止め、邪気を除き、目を明らかにし、心を開き、智を益す」と記されています。

5世紀の時点で、高麗人参は最高の薬として記録されています。

また、「名医別録」という「神農本草経」と同時期に書かれた書物には、人参の良いものは高句麗国(朝鮮半島にあった国)から到来するとあります。

ときの皇帝が愛した高麗人参

高麗人参は中国では、古くからときの皇帝が愛飲したとして有名なものです。

中国を初めて統一した秦の始皇帝は、不老長寿のために高麗人参を服用していたとの伝承があります。

朝鮮半島と高麗人参

朝鮮半島には、清州島と全羅南道を除いた全域に野生の人参が自生していました。朝鮮半島の気候や土壌が非常に人参の栽培に適しているようです。現在は北部山岳地帯、江原道太白山、五台山や智異山などにわずかに自生しているのみとなります。自生しているものを購入するとなると数百万は下りません。

さて、高麗人参ですが、古くから効能は広く知られていたのですが、栽培が非常に難しく人工栽培に成功するのは11世紀のことです。朝鮮半島では、高麗人参の加工方法というのも開発され、現在高級品として扱われる紅参などを発見しています。

この紅参というのは、薬効が裏付けられるなど、世界中から注目されることとなります。製造販売を1996年まで紅参専売制廃止まで、韓国政府が国営企業だけに許し主要な輸出品として、高麗人参を国ぐるみで守り品質を維持していました。現在でも、韓国の高麗人参の品質は非常に高く保たれています。

日本と高麗人参

日本に高麗人参がわたってきたのは、正式な記録として残っているのが「続日本書紀」の渤海王の使者が、天平11年(739年)に聖武天皇へ30斤の高麗人参を奉呈品にしたと記録が残っています。また、奈良時代の天皇である光明天皇が高麗人参を人々に勧め、現在でも奈良の正倉院の御物にも人参とされるものが残っています。

時代が下り、江戸時代の1722年、8代将軍徳川吉宗が、金銭の海外流失を嫌い、高麗人参の国産化を勧め、御薬園にて採取した高麗人参の種を日本中の大名へ配布し栽培を奨励します。

高麗人参の和名が「オタネニンジン」というのは、吉宗のこの行いに由来します。1728年に日光の御薬園で国産化に成功、1760年ごろには5万株までに広まりました。江戸幕府が明治維新で倒れた後も、現在まで、島根、福島、長野で国産の高麗人参が栽培され続けています。

ちなみに、日本の九州にも高麗人参の亜種が存在し、竹節人参と呼ばれています。薬効成分の量は高麗人参に及びませんので、庶民の人参として江戸時代に庶民に広まりました。

高麗人参と昔話

中国に高麗人参に関係する昔話がありますので、歴史のついでに記載をします。

森の奥から夜な夜な人のうめき声が聞こえるので、村人が耐え兼ね、声のする場所を掘り返したら、人の形をした人参が出てきたそうです。

その人参には天上の魂が地中の根に宿り、300年のときを経て人の姿になって現れたそうです。そして、その人参の血の色は白く、3、4滴で死人をよみがえらせたという伝承です。

野生の人参の成長の遅さと、その薬効効果を見事に言い表した昔話といえます。

まとめ

高麗人参は紀元前から、

2000年以上も昔から「健康にいいもの」

として重宝されていたのがわかります。そして、歴史の教科書にて名前を見るような偉い人が栽培に力を入れて、現在まで漢方薬の王様の地位を維持し続けているというわけです!

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